私には、忘れられないほど飛び切り美味かった牛肉の思い出がある。

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 まだ働き始めて1年ほどしか経っていない時に、自信満々で

「この牛食べたらびっくりしますよ?」

と進められて食べた牛。

 進めてくれたのは、今から20年ほど前にうらいを担当してくれていた

某食肉大手S社のKさん。今は九州でその辣腕をふるっていると聞きおよんで

いるがそんな自信満々に勧めるのには余程理由があると思い、

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一口食べてみる。

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 全てが想像以上だった。

 旨味、香り、甘み。

 一口、たった一口含んだだけでこの肉の持つ、果てしない力が私の口を支配

し続けた。全てが規格外の体験だったが、特筆すべきはその香り。

いつまでも、いつまでも口の中から鼻にかけてその香りは残り、その余韻

を測っておけば良かったと今でも思っているほどだった。

 その香りのお陰で、美味しい牛肉を匂いで見つけれる様になった、

という嬉しい後遺症(?)が残り、枝肉が吊り下がっている冷蔵庫内で

美味しそうな香りが漂ってくると、決まって先ほどの記憶を思い出す。

 当時の牛肉の情報は、肉の目利きを極めたいと考えていた私にとって

今でも1つの指標になっている。

仙台牛・雌牛・月齢42か月・枝肉重量398kg。屠畜後の熟成日は30日だった。

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 もう一つ、忘れられない思い出がある。

 その牛は神戸ビーフだった。

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 その牛を進めてくれたのは、生産者。自分の育てた牛を、

「日本で一番うまい牛を食べさせたる。」

と言い、出てきたのはサーロインだった。

 そう自信満々に進めて下さったのは、但馬牛の生産者、Nさん。

 この方には、本当にお世話になった。

 「儂はな、自分で育てていて、これは間違いない、と思った

ヤツは必ず食べてるねん。その牛買って、出してくれている飲食に。

食べな判らんやろ?外食だけで年間1000万は使いようやろ、多分。」

と言いながら、豪快に笑うNさんの顔は今でも忘れられない。

数々の賞レースを総なめし、但馬牛の達人として名を馳せた方だが、

その裏には今では珍しい、【食道楽】の営業と努力が繰り広げられていた。

 あの時食べた神戸ビーフは、今でも私のステーキの記憶で最高の思い出

として色濃く残っている。歯に衣を着せぬ物言いで、いつも豪快な生活を

していたNさんも、今は故人。お世話になったお礼に、いつかお墓参りに

行かなければと、彼岸が来るたびに思い出す、想いでの味。

 貴方には、あるだろうか。思い出の味…

 

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