少し前に、うちに新しいスタッフが入った。

東京のミシュラン1つ星のラーメン店で働いていた子だ。

なぜ、そこを辞めてうらいに来たのか。

本人に聞いたら、こう言った。

「やたら肉に詳しそうな人が居そうだったから。」

それだけだった。

 星付きの店のキャリアを捨てて、加古川の精肉店に飛び込んだ理由が、それだ。

思わず笑ってしまったが、その感覚は正しいと思った。

料理人の本能が、素材の方へ引っ張ったのだろう。

なにせ、私ももともとは料理の世界に身を置いていたからだ。


包丁を持ち始めた頃、私は何を夢見ていただろうか。

美しい料理を作ること。お客さんを笑顔にすること。

大会に出て、優勝する事。

そして、いつかは自分の店を持つこと。

途中、お酒も飲めないのに、ソムリエを目指していた時期もある。

当時のその夢は、今は形を変えて育みつつけている。

ただ、一つだけ私が突き詰めたかった事。

僕は今、素材のことをどれだけ知っているか。


当時、働いていたお店では、かなりの部分が手造りだった。

そして、有名フレンチ出身だった、お店のオーナーはかなりの

教育熱心な人間だった。

素材の扱い方を教えてくれる。

切り方、火入れの方法、盛り付けの技術。

それは間違いなく大切なことだった。

 しかし、こんな問いが、僕の中を駆け巡る。

「この肉は、なぜこの温度で火を入れるのか。」

「この部位は、なぜこの厚みで切るのか。」

「この脂は、なぜ口の中でとろけるのか。」

感性だけではなく、きちんとした体系を持って

答えられる人間は、料理の世界でも、精肉の世界でも、実はまだまだ少ない。


私は肉職人として、和牛うらいに勤めて25年が経つ。

黒毛和牛の雌牛だけを扱う、専門店だ。

仕入れから熟成、解体・成形まで、全工程を一人で担えるまでには成長した。

そんな私も、もともとは料理人だった事を、ふと冒頭の彼を見ていて

思い出した。

フレンチビストロで、包丁を握り、鍋を振った6年間。

彼と同じように、食の世界に飛び込んだ人間だ。

しかし料理人として働く中で、あることに気づいた。

素材を本当に理解している料理人が、あまりにも少ないということに。

そこから、素材学びと扱いの技術を学ぶため、色々なお店に伺った。

魚屋、鶏屋、八百屋に総菜屋。

最終的に、肉屋に辿り着き、今に至る。

それが、精肉の世界に入ったきっかけだった。


精肉の仕事は、地味な仕事かもしれない。

黙々と、肉塊と向き合い、手当てする日々。

華やかなキッチンとは程遠い、裏方の作業場。

なにより、寒い(笑)

しかし、ここで学べることは、料理の現場では決して学べないものばかりだった。

枝肉を見極める目利き。脂の色、肉の張り、繊維の走り方。

これらを瞬時に読み取り、仕入れる牛を決める。たとえ有名ブランド牛であっても、

基準を外れれば仕入れない。ブランドではなく、牛そのものを見る。

目利きの力。

熟成の設計。どの部位を、何度で、どれだけ寝かせるか。

ただ時間をかければ良いわけではない。熟成と腐敗は、紙一重だ。

その境界線を知っている人間だけが、本物かどうかはさておき、熟成肉を扱える。

肉の各部位に対する、温度設計。クラシタのザブトンは52〜54℃で最も艶が出る。

サンカクバラは56℃を超えると層が崩れ始める。こうした数値は、25年間の実務と、

神戸大学との共同研究から導き出したものだ。

当時の私が料理人としてこれを知っていたら、どれだけ武器になっていたか。


私はこれまで、神戸大学大学院との共同研究に携わり、

様々な食品企業との製品開発にも関与してきた。

現在進行している案件も複数ある。

また、技術を極める過程から、日本で小売業従事者として初めて、

牛部分肉製造ミートマイスターの資格も取得した。

狩猟もやる。山に入り、命をいただく経験が、素材への敬意を深めてくれた。

これだけ書くと、料理をしていたあの日が遠く感じる。

彼も、同じような思いをする日がくるのだろうか。

しかし私は今日も、加古川の小さな精肉店で、白衣を着て肉を切っている。

特別な場所にいるわけではない。

ただ、素材と真剣に向き合い続けているだけだ。


料理の質は、キッチンの外で決まることがある。

少し、傲慢に聞こえるかもしれないが、肉を知れば知るほど、

そう感じるようになってきた。

素材を深く知る人間が作る料理と、知らない人間が作る料理は、

同じレシピでも違う皿になる。

素材は、正直だ。向き合った分だけ、答えてくれる。

それだけは、25年間、一度も裏切られたことがない。

さあ、明日も肉を切ろう。

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