~面倒くさいからこそ見えてくるもの~
2026年9月5日。
遂に、第四回ジャパンビーフフェスティバルが開催されました。
待ちに待った?
いよいよ?
ようやく?
どの言葉が一番しっくりくるのか分かりませんが、少なくとも、
「今年も、ここまで来たか」
というのが、終わった今の正直な気持ちです。
実施に至るまで、実働4か月以上。
私自身、実行委員として関わり続けて、かれこれ4年になります。
こういった類の催しというのは、一度形が出来上がると、翌年からは
「前年踏襲」で進めていくことが多いと思います。
去年やったことを、今年もやる。
去年の資料を使い、去年の業者さんにお願いし、去年と同じ場所にテントを張り、
去年と同じように進める。
もちろん、それが悪いわけではありません。
むしろ、効率を考えれば正しいやり方でしょう。
ところが、我々の実行委員会は、どうもそういうことを好まない。
いや、正確に言えば、
「同じことを繰り返すのが嫌い」
なのだと思います。
毎年、何かしら新しいことをやろうとする。
企画を変える。
見せ方を変える。
会場の使い方を変える。
新しい人を巻き込む。
そして、また一から考える。
もしかすると、我々は少し「ドM」なのかもしれません(笑)。
「何もない場所」でイベントをするということ
ジャパンビーフフェスティバルの会場は、河川敷です。
普段は、人が集まってイベントをするための場所ではありません。
だから、施設や店舗でイベントを開催するのとは、かなり事情が違います。
例えば、電源が欲しい。
じゃあ、どこから電気を持ってくるのか。
水は?
手洗い場は?
照明は?
ゴミは?
雨が降ったら?
風が吹いたら?
搬入は?
車はどこを通す?
人の導線は?
安全面は?
一つのことをやろうとすると、それに付随して二つ、三つと「やるべきこと」が増えていきます。
「これをやりたい」
と思った瞬間に、
「じゃあ、そのためにはこれが必要だよね」
が出てくる。
さらに、
「だったら、これも考えないといけない」
となる。
気が付けば、最初に考えていたこととは全く違うところまで話が広がっている。
河川敷という「何もない場所」で催しをするというのは、そういうことなのです。
よくもまあ、我ながら飽きもせず、4年も続けているものだと感心します。
でも、その「面倒くさい」が面白い
効率だけを考えれば、決して良い方法ではないでしょう。
毎年、一から考える。
毎年、試行錯誤する。
そして毎年、何かしら問題が起こる。
それでも、不思議なことに、
「もう来年はやりたくない」
とはならない。
むしろ、終わった瞬間から、
「来年はこうしたら面白いんじゃないか」
と考えている自分がいます。
我ながら、少しおかしいと思います(笑)。
ただ、ジャパンビーフフェスティバルには、それだけの魅力があります。
普段の仕事だけをしていたら、絶対に経験できないことが、次から次へとやってくる。
行政の方と話す。
生産者の方と話す。
大学の先生と話す。
地域の方と話す。
学生と話す。
企業の方と話す。
イベントのプロと話す。
そして、それぞれの立場や考え方を知る。
肉屋として仕事をしているだけでは、なかなか見ることのできない世界です。
だから私は、
「ジャパンビーフフェスティバルは、経験値をものすごく稼げる場所だ」
と思っています。
量をこなさなければ、質は生まれない
もちろん、効率は大切です。
でも、質を追求しようと思えば、ある程度の「量」をこなす必要もある。
よく「達人になるには1万時間必要だ」という話がありますが、
本当に1万時間なのかどうかは分かりません。
(肉屋の仕事は経験則的に、それが正しい事の様に思えるが。)
でも、何かを身につけようと思えば、やはりそれなりの時間と経験が必要なのだと思います。
今回のフェスティバル開催だけでも、実働4か月以上。
もちろん、その4か月間をフェスティバルだけに捧げているわけではありません。
まず、肉屋としての仕事があります。
山にも行かなくてはいけません。
その間も大学の研究は、進んでいます。
その他の仕事も、まだまだあります。
だから、「達人」と呼ばれるには、まだほど遠い。
それでも、こうした経験を何年も積み重ねていけば、いつか何か見えてくるものがあるのではないか。
そんな気がしています。
達人までの1万時間は、気の遠くなる話でもあります。
でも、不思議なことに、今からもう来年の開催が楽しみな自分がいる。
もしかすると、ジャパンビーフフェスティバルは、私にとってもう「仕事」ではなく、
ライフワーク
になっているのかもしれません。
そもそも、なぜ始まったのか
ジャパンビーフフェスティバルが始まったきっかけは、
加古川食肉センター開設150年
を祝う行事でした。
150年前。
明治初期。
「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」
なんて言われていた頃。
今から考えると、とんでもない激動の時代です。
そんな時代から、この加古川の地では食肉に関わる営みが続いてきました。
安全で安心な食肉を、1世紀半もの間、途切れることなく地域へ届けてきた。
これは、改めて考えると凄いことだと思います。
加古川は、牛の生産地として見れば、決して大産地というわけではありません。
しかし、
「牛を肉にする」
ということに関して言えば、日本でも有数の歴史と技術を持った街です。
生産地だけが産地ではない。
牛を育てる人がいて。
牛を運ぶ人がいて。
牛を肉にする人がいて。
肉を加工する人がいて。
肉を売る人がいて。
それを料理する人がいて。
そして、食べる人がいる。
その一連の流れが、この街にはあります。
だからこそ、
「肉のまち かこがわ」
という地場産業の価値を、もっと多くの人に知ってもらいたい。
そして、これから50年、100年と続いていく産業に育てていきたい。
それが、私がこの活動に関わっている理由の一つです。
私が肉屋になるなんて、20年前には想像していなかった
私は、職人としてこれまで20年以上、お肉に関わってきました。
成人した頃の自分に、
「40代になったら、お前は肉屋をやっているぞ」
と言っても、おそらく信じないでしょう。
ましてや、
「地域の肉フェスの実行委員を、4年間もやっているぞ」
と言ったら、
「何それ?」
となると思います。
当時の私は、料理の仕事をしていました。
そして、夢はソムリエになることでした。
お酒も飲めないのに、ワインを買い漁り、試飲会と名の付く場所があれば足を運ぶ。
飲めないので、口に含んでは吐き出す。
それでも、少しずつ?(すぐ)酔っていた。
そんな記憶があります。
今思えば、なかなか面倒くさい人間です。
でも、一旦興味を持つと、
「なぜ?」
「どうして?」
「これは何が違うんだ?」
と、次から次へと疑問が湧いてくる。
そうやって飲めないお酒に触れている内に、ワインだけでは飽き足らず、
ありとあらゆるお酒に興味を持ちました。
特にハマったのが、コニャックやアルマニャックといったブランデーでした。
当時は、今ほどインターネットが発達していません。
何かを知りたければ、本を買う。
実際に飲んでみる。
誰かに聞く。
店へ行く。
実際に行動する以外の方法がありませんでした。
今のように、スマートフォンで検索すれば、
AIに聞けば一瞬で答えが出てくる時代では無かった。
だからこそ、自分で足を運び、自分で体験する。
あの頃に身につけたお酒の知識が、今の仕事に直接役立っているかと言われれば、
正直、ほとんど役に立っていません。
でも、
「人があまり知らないことを知りたい」
という気持ち。
そして、
「知らないものに辿り着くには、どうすればいいのか」
という感覚。
これは、今の自分の中に確実に残っています。
やってみなければ、見えてこない
肉フェスの話をしていたのに、いつの間にかブランデーの話になってしまいました。
でも、私が言いたいことは、実は同じです。
出来るかどうか分からない。
成功するかどうかも分からない。
効率が良いかどうかも分からない。
それでも、
「とりあえず、やってみる」
ということ。
やってみると、何かが見えてくる。
失敗したら、次に直せばいい。
分からなければ、調べればいい。
自分にできなければ、できる人を探せばいい。
一人では無理なら、仲間を増やせばいい。
そうやって一歩ずつ進んでいると、最初には想像もしなかった場所に辿り着くことがあります。
私にとって、ジャパンビーフフェスティバルは、まさにそんな場所なのだと思います。
私の次の夢
今、肉屋として働き、そしてジャパンビーフフェスティバルの実行委員として活動する中で、
私には新しい夢があります。
それは、
「加古川の花火大会のような、地域の誇りになる催しを創ること」
です。
加古川の人なら誰もが知っている。
子どもの頃から楽しみにしている。
大人になっても思い出す。
加古川を離れた人が、
「今年もあの季節が来たな」
と思う。
そんな催しです。
ただ人を集めるだけではない。
ただ肉を食べてもらうだけでもない。
「加古川って、ええ街やな」
と、地元の人が思える。
そして、外から来た人にも、
「加古川って、こんな面白い街なんだ」
と思ってもらえる。
そんなイベントにしていきたいと考えています。
来年は5周年
そして来年、ジャパンビーフフェスティバルは5周年を迎えます。
たった5年。
そう思われるかもしれません。
でも、私にとっては違います。
4年間、仲間と一緒に悩んで、考えて、走って、失敗して、また考えて。
その一つひとつが積み重なって、今があります。
だから、私にとってジャパンビーフフェスティバルは、
かけがえのない宝物です。
2026年9月5日。
第四回ジャパンビーフフェスティバルは終わりました。
でも、私たちが創りたい「肉のまち かこがわ」は、まだ始まったばかりです。
150年続いてきた歴史を、次の50年、100年へ。
そのために、自分たちに何ができるのか。
答えは、まだ分かりません。
だからこそ、またやってみようと思います。
そして来年。
第五回ジャパンビーフフェスティバルで、また皆さんとお会いできることを楽しみにしています。
「肉のまち かこがわ」
この街の誇りになる日まで。
面倒くさくて、楽しくて、たまらない挑戦は、まだまだ続きます!!
