あの日から。

 今から30年前の1月17日は今でも鮮明に1日の記憶がある。

 あの日は何故か地震の少し前に目が覚めた。

 尼崎市に住んでいた私は、当時5人で2階建てのボロアパート生活する

中学2年生だった。学校もろくに行かず、親に迷惑ばかりかけていた

どうしようも無い奴だったと思う。

 二学期にクラスメイトと揉め、大問題を起こし謹慎していた経緯から、

三学期も憂鬱で早く大人になりたい、社会人になり学生などやめて

しまいたいと稚拙な考えに耽っていた時期でもあった。

 夜中、何度も家を抜け出し、悪事を働く。親の目を盗み、人の物を

盗み、社会なんてくそくらえだと思って過ごしていた。

 そんなろくでもない生き方をしていた私は、夜更け前に目が覚めるなど

無い状態だった。正確には、1月17日の午前5時45分前、目は覚めたのだが

まだ感覚的に夜中だと当時は感じていたのだ。

 辺りはまだ暗い。

 夜中か。

 そう思いながら、もう一度寝ようとする。今日は夜に抜け出す

予定が無かったからだ。

 そう考えていた時、耳鳴りの様なモノを感じる。

と、同時に2段ベットの2段で寝ていた私のベットがカタカタと

小さな音を立てて揺れだした。下には、くそ真面目な兄が眠っているはず。

「なんや、寝返りでもうってんのかいな。」

 私の下段で寝ている兄の寝相が悪いのか、などど考えていたら

揺れは続く。

 次第に大きくなる地鳴り。

 !?!?

 揺れはいきなり、身体を揺さぶる勢いに。

 あかん、これ、地震や。。。

 そう思ったのが先か、激しい縦揺れに私の寝ていた2段ベットがそのまま

部屋に落ちたのが先か。

 まさか、こんな地震に遭遇するとは。

 土の香りが部屋の中に漂う。壁が崩れているのか。

 部屋の中の匂いは、それだけではない。

日常では、絶対に感じない匂いに部屋が埋め尽くされている。

 辺りは暗く、様子は良く解らなかった分、その

匂いの異常さが際立っていた。

 地震の揺れにより、1段になったベットからはい出した

私は、ふと1階で寝ている祖母が気になった。

タンスで潰されているんじゃないか。

 急いで階段に行くと、荷物で埋め尽くされており

1階に降りれそうもない。

 部屋の窓を開けると、瓦が落ちて割れる音が聞こえる。

瓦礫の音が響くアパートの窓から身を乗り出し、

眼下の様子を探る。先程まで視界ゼロに近かった部屋の中より

幾分良好な状態で、地面も見えた。

 薄暗い街中を見渡し、ここで真夜中ではないことに初めて気が付く。

 

 ひとまずここから降りるか。

 どうすれば下に降りる事が出来るのかは、身体が嫌と言うほど

覚えている。

 そう、毎晩非行に明け暮れたおかげで、下に降りるのは

お手の物になっていた。

 褒められたものでは無い特技で無事に1階へ到着すると、

祖母の安否は確認出来た。トイレに立っていたおかげで、

事なきを得たのだ。一緒に寝ていた妹も、身体の小ささから

家具の下敷きにはならなかったのだ。

 ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、言いようのない不安が

こみ上げてきた。

 これから、いったいどうなるんだろう。

 社会に背を向け、甘えきって舐め切っていた私は、未曽有の災害の前に、

自身のちっぽけな存在を知り、ただただ無力さに打ちひしがれていた。

 その後は小学校の体育館でしばらく避難生活を送り、やがて尼崎を

離れる事となるが、地震発生前後の記憶だけでも、これだけあった。

それぐらい、とてつもない出来事だった。

 あれから30年。

 月日の過ぎる早さを痛感しつつ、当時を振り返ってみた。

 阪神淡路大震災で被災された全ての方と、失われた尊い命に。

黙祷。

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