先日、趣味の山歩きをしている時に桜の花を発見。
「ああ、暖冬の影響かー。」
子供の頃であれば、珍しいとはしゃいでいたかもしれないが
今ではさほど珍しくも無くなってしまった感のある、冬に咲く桜。
ほぼほぼ通り過ぎようとしていたのだが何故か気になった。
品種が違うのか、全体的に細く見える。可憐な感じだ。
桜の品種は良く知らないが、ソメイヨシノではなさそう。
写真を撮ってグーグルで調べてとソメイヨシノの判定。
グーグルの正答率は70%程度だというし、何か違う気がする。
とても気になる。家に帰り、色々と調べてようやく判明。
私が気になった桜は、十月桜という品種だったようだ。
この桜は冬と春の2季に渡り咲くそうで、
桜=春
という、私の頭の中にある常識は脆くも崩れる事となった。
これには驚いたのだが、驚いたのも束の間、実は日本全国で様々な
種類の桜が四季折々に咲いているそうではないか。
うーん。
こうなると、如何に自分が無知であったのかに気が付く。
まあ、植物を生業に生きてきた訳でもないし、桜の咲く季節を知らずとも
生きて行けるし、肉職人としては問題ない(はずw)。大切なのはそこでは
無い。今まで思っていたもの、知っていると思っていた知識が、実は全く
役に立っていなかったり、真実ではない時にどう対処し、どう取り入れるか、だ。
こういった事は今後も起きるだろうし、それは自らのプライベートな時間
に起きるのではなく、パブリックな仕事の真髄に関わる事かもしれない。
真実に触れた喜び
そう思うと、私がこれまで肉職人として語って来た、教えてきた知識も
危ういのではないか、と考え一人で討論会を頭の中で行ってみた。
【経験は裏切らない】
という、如何にも職人らしい言葉を投げかけてみると、これは戦えそうな気がする。
が、安心したのも束の間。経験とは、個の認識上に位置するもの。そもそもの認識が
間違っていた場合、その経験は……となり職人の経験は負けそうな様相。
しかし、これまで得た経験を基に、仮にそれが過ちである事を認識出来れば、
その経験は無駄とはならない。そして、過ちを気が付かせてくれるのも、また
経験なのであると決着。
そう考えると、これまで知識や経験が増えると感動は少なくなる、と思い込んで
いた私の頭も、桜の花1つで大騒ぎできるほど、無邪気な思いも出来た。
きっとこれからも、今以上に驚き楽しむ事の出来る未来が待っていると
前向きに考えてみると、大人になっても、いや幾つになっても勉強だな
と思い知らされた出来事でした。