夢中で何かに取り組む。

 時間を忘れて没頭出来る。

 貴方には、そんな趣味はありますか?

 私には、ある。

 お肉屋さんで店長を勤めさせて頂いている、私の趣味の

お話し。

 私の趣味は、「山遊び」。

 アウトドアでの活動が大好き。

 なぜ、こんなに好きになったのかを考えてみると、幼少期の体験から

きているのだと思う。

 幼いころ、祖母の知り合いだったのだと思う(うろ覚え)が、近所に

ボーイスカウトのおじさん(おじいさん?)が居て、その人に六甲山

に連れて行って貰っていたのが原体験かと思う。

 月に1度程度の頻度で山登りやキャンプ、野池や川釣りなどに連れて行って

もらい、そこで生きている生物や植物のことを学んだ。

 それからもう1つ、小学校5,6年生の時の担任がそのボーイスカウトの

おじさんを上回る山好きで、もはや中毒?って思うぐらい山を愛していた

先生だった。この先生は問題児を担当させると抜群の先生で、当時問題児だった

私と、更に問題児のN君の2人がぴったりマークされ、みっちりしごかれた。

 またこの先生は小学校教師でありながら、なぜかいつも白衣を着ていて、

理科の先生って感じの雰囲気を出していた。そんな担任G先生の受け持つ

部活動は、科学部。

 少し話は逸れてしまうが、私が小学校の頃通っていた、尼崎の立花小学校

というところは、何故か部活動があり週1回であるが活動していた。

 で、ぴっーったりマークされていた

私たちは、部活動は当然、科学部となりこの部活動でも担任Gによる、

密着指導を受ける事となる。

 熱血指導の部活は、時に深夜にまで及び、現在であれば○○ハラスメント

なんて言われかねない状態だったと思うが、当の本人たちはすっかり夢中に

なってしまっていて、今では良い思い出である。

 担任Gによる指導は、土日に課外授業を行う事も珍しくなかった。

課外授業の行先は、六甲山。

 ここで、大学時代ワンダーホーゲル部だったGの、山知識を徹底的に

叩き込まれ、今になって思えば、教師と生徒という関係を通り越して、

師弟関係の様相だったのではないかと思う。

 地図を読む能力、天気を予測する能力、不測の事態に対処する能力

など、おおよそ小学校生活とは関係が無い知識がここで養われ、今40歳を

過ぎた私の大きな財産となっている。

 小学校を卒業してからも、その関係は続いた。

 阪神淡路大震災で姫路市に引っ越しても、なお続く師弟関係。

 一番の思い出は、何度も通った冬の大山(鳥取県)。

 アルパイン、クライミングのノウハウを手取り足取り学び、

時には吹雪の夜を共に過ごし、頂上を踏まなくても満足できる山の遊び方、

撤退する勇気、自分との向き合い方を知る事となった。

 その当時の私は、なかなか私生活が荒れていており、いわゆる

半ぐれのような生き様だったが、G先生と向き合うと何故か素直になれた。

定年退職してもなお、教育に掛ける情熱が私と向き合わせていたんだろうか。

生き様もなかなか変わっていた先生で、1990年当時に

「車は文明社会の惰機。」

と言い、自転車通勤しかしない徹底ぶり。

その自転車も、なんと30年以上も修理しながら乗り続け、

「物を大事に出来無い奴はろくでもない。」

「足りるを知りなさい。」

なんて、今のSDGsを先取りしたかのような生き方だった。

 そんなこだわりの生き方、70を過ぎても衰えない健脚の持ち主だった

先生も、もう亡くなって15年ほどになる。

 命日が近づくと、いつもの好山病に更に拍車がかかる。

 一生楽しめる、趣味を教えてくれた先生へ。

本当にありがとうございました。

 

 

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