―なぜ、和牛に“型”が必要なのかー

 私は肉職人として、これまで25年に渡り、

和牛と向き合ってきた。私が勤める会社は、

有限会社うらい。黒毛和牛雌牛の専門店だ。

創業から、70年以上が経つ。

その中で、仕入れ業務を任されてきた。

枝肉を見極め、脂の質を確かめ、肉質を見抜く。

美味しさの頂点、熟成の動向へ想いを巡らす。

繊維の流れを読み、火入れの変化を身体で覚える。


市場に見る危機感

その積み重ね日々の中で、ある違和感を抱くようになってきた。

きっかけは、世界中に広がる調理動画。

インバウンド需要の高まりとともに、

和牛はSNS上で日々発信され、拡散されている。

豪快に焼き上げる映像、

大量の炎を上げる演出、

強い味付けで包み込む調理。

大きな動作、部位にそぐわない、小さな包丁使い。

それらは、視覚的に魅力的かもしれない。

しかし、職人である私の目で見ると、

どれも理に適わない事ばかりに感じていた。

脂は流れ、繊維は締まり、

本来の繊細さが失われている場面も少なくない。

私は次第に、

これは単なる流行ではなく、

和牛の価値そのものを損なう、可能性があるのではないかと

感じるようになってきた。

問題は海外だけではない。

もしかすると、日本人自身も、

和牛を正しく理解しきれていないのではないか。


これから必要とされるもの

和牛とは、特徴的な構造をもつ、生体材料である。

脂の融点が低く、筋線維は細く、

加熱や、物理変化に対し、極めて繊細だ。

扱い方次第で価値は倍にもなり、半分にもなる。

にもかかわらず、

和牛を扱うための“共通の型”は存在していないのが現状だ。

日本の文化である、

武道や茶道には型がある。

型は自由を奪うものではなく、

本質に到達するための基礎であり、道しるべ。

和牛もまた同じではないのだろうか。

まずは構造を理解する。

部位を理解する。

脂の挙動を知る。

適切な火入れを知る。

基準が共有されなければ、

和牛は「高価だが扱いが難しい肉」として消費されてしまう。

そもそも、その認知があるのかさえ、危うい。

それは市場の損失であり、

文化の損失でもある。

さらに私は、

調理後の“時間”にも価値があると考えている。

焼き立てだけが頂点ではない。

冷めたときに現れる脂の落ち着き、

翌日にまとまる旨味。

あなたも知っているはずだろう。

翌日に食べる、すき焼き鍋のうどん。

あれだ。

和牛には、時間とともに整う特徴があるといえるだろう。

これも日本独特の文化であり、食材なのだ。

私が肉を見極める際に、重要視している

「この肉は冷めても、なお美味いか。」

ここに至るまで、かなりの年月を要した。

なお この部分が重要なのである。

しかしその理解は、

本稿で語る“型”の先にある領域になるだろう。


肉職人 川村に出来る事

私に、何が出来るだろうか。

これまで、育てて貰ったこの業界に、恩返しがしたい。

そうだ。

私はこれから、この型を作る事を、ライフワークに

しようと思いたった。

まず、和牛を正しく扱うための、実務の型を提示する事。

そして、そこから部位構造、脂の挙動、火入れ温度帯、繊維方向。

その基礎を共有することから始めたい。

和牛を“買う”だけで終わらせないために。

まずは、私に出来る事から。

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