山葵を、閉じ込める。
——肉職人の視点で作る、サーロイン用山葵ゼリーの話
きっかけは、ひとつの問いだった。
ジャパニーズ和牛ワールドオークション。
世界11カ国以上のバイヤーが姫路に集まり、日本の和牛を競り落とすこの場に、
私は数年前から関わっている。オークション前に設けられる食の体験の場、
前夜祭と位置付け、盛大に執り行われるこの場所で、和牛と交雑牛のステーキ
食べ比べをしてもらう企画が現在進行している。
そこで指令が下された。
「お好みで使ってください」と添えられる薬味は、何であるべきか。
この問いに対する答えは、直ぐに出た。
「ドイツで食べた、わさびゼリー美味しかったな。」
ただすりおろしたわさびを皿に乗せるだけでは、面白くないという事で。
ジャパニーズ和牛ワールドオークション、重鎮の一言で薬味は決定した。
そして、その時に、その重鎮と目が合ってしまったのだ。私は…
かくして、私は海外のバイヤーさん達に、日本の食文化の奥行きを
伝える役割を負う役割を頂いた。
わさびそのものを「料理」として再設計する必要に迫られた、という訳だ。
こうして、山葵ゼリーの設計がスタートした。
以下、現在の進捗具合を、頭の中を整理する目的で書いてみる。
➀ 山葵の二段構え——辛味成分を活かした設計
山葵の辛味成分はアリルイソチオシアネートと呼ばれる物質らしい。
調べて見て、初めて知った名前だ。舌を噛み切りそうな名前(笑)
この成分は揮発しやすく、熱に弱く、時間とともに失われるらしい。
つまり「辛味の持続性」という問題が、わさびを料理として設計する
上での最初の課題になる事がわかった。
そこで私が選んだのは、栽培物の生わさびとチューブわさびのブレンド。
比率は現在、脳内試作の真っただ中。
生わさびは鮮烈な香気と立ち上がりの辛味を担わせる。
すりおろした瞬間に揮発する清涼感は、チューブでは絶対に再現できない。
一方、チューブわさびは辛味の持続性と安定感を担う。
チューブに含まれている、からし油成分が生わさびのアリルイソチオシアネートを
安定させる緩衝効果も持っている。これで世の中の山葵チューブは辛味を持続させている。
二つの素材は、役割が異なる。だから混ぜる。これは妥協ではなく、設計だ。
➁ 出汁の設計——昆布冷水出汁
ゼリーのベースは昆布と鰹の合わせ出汁にした。
ただし昆布は、極限まで雑味を取り除くために水出しにする事とした。
理由は単純だ。出汁の風味は、山葵の後に来るようにしたい。そして、
辛味の邪魔になる事は避けたい。
海外の方に向けた食べ比べという文脈では、薬味の主張が
弱すぎると存在感が消える。量を増やすのではなく、質を上げる。
水出しを選択し、時間をしっかりかける事で、雑味を出さずに
グルタミン酸だけを狙うイメージ。単純な昆布量を増やすより、
抽出時間を延ばす方が味が綺麗だ。
対して鰹はあえて増量する方向。イノシン酸とグルタミン酸の相乗効果が、
ゼリー単体でも「旨味の存在感」を感じさせる水準まで出汁を引き上げるためだ。
➂ 煮切りみりんとトレハロース——甘みの二層設計
このゼリーにグラニュー糖や上白糖は使わない。
グラニュー糖は味の前面に出てくる。出汁・山葵・柚子(後述)という三軸で
設計した構成の中に、甘みという第四の主張を加えたくなかった。
しかしまったく甘みがないと、ゼリー単体で食べた時に角が立つ。
和牛や交雑のステーキと、合わせた時の美味しさが最優先ではあるが、
それだけを考えていればいいわけでもないはずだ。
解決策として選んだのが、煮切りみりんとトレハロースの二層構造。
みりんはそのまま加えない。先に煮切る。アルコールと雑味を飛ばし、
アミノ酸と糖分だけを残す。煮切る過程でわずかにメイラード反応が起き
、深みのある甘みへと変化する。仕上がり量は元の2/3程度になるため、
添加量は煮切り後の重量で計算すること。
トレハロースは甘味度がグラニュー糖の約60%と低く、味の構成を
壊さずにまろやかさだけを付与する。さらに出汁と山葵の旨味を底上げ
する効果と、タンパク質の変性を抑制する効果を持つ。
よって、ゼラチンの離水抑制にも若干寄与する。
ステーキと合わせた時の印象を優先して、必ず両方の状態で試食して判断
しようと考えている。
甘みを「加える」のではなく、「滲ませる」設計を狙ってのことだ。
➃ 凝固剤の選択——どっちが良いの?
このゼリーには、凝固剤として二つのバージョンを想定した。
アガー版とゼラチン版だ。どちらが正解とは言えないので、未だ迷っている最中。
まず、アガー版は常温で安定する。透明度が高く、山葵の緑が映える。
離水リスクがあるため、提供直前まで型に入れたまま冷蔵し、サービス直前
に取り出す運用が必須だ。アガーは糖分がないと固まりが弱いため、
先に示したトレハロースが構造安定に直接寄与する。
次に、ゼラチン版は口溶けが柔らかく、和牛の脂と一体になる感覚が
鮮明になるのではと、想像してみた。そして、さらに大きな特徴がある。
ステーキの上に乗せて提供すると、肉の熱でゼラチンが徐々に溶け、
天然のソースへと変化していく。この「変化する食体験」は、海外バイヤー、
そして彼らの顧客であろう、ファインダイニングのシェフ達に刺さる
演出になりそうだ。
ただし常温で溶け始めるため、提供後は出来る限り早く食べてもらう必要がある。
まあ、恐らくそんな時間をかけて食べる環境ではないだろうから、ゼラチン版が
本命か。
➄辛味コーティング——辛味を閉じ込める
山葵の辛味持続性については、シクロデキストリンによる、
包接という手法が理論上は最も効果が高い。シクロデキストリンとは、
難消化性の食物繊維としての認知が高いかと思うが、簡単に言えば
砂糖なんだけど、真ん中に穴が開いていて、そこに香りの成分などを
捉えて離しにくい性質を持っている。
しかしながら、このゼリーの為だけに仕入れるのも他に使い道がないし、
まあ何かタレの試作にでも使えそうなので、仕入れるかもしれないが。
ひとまず、今回はプルランによる表面コーティングで対応する事を考えてみる。
プルランとは、これも砂糖の仲間で酸素不透過性・耐油性・保香性という
三つの特性を持つ。この特性は、例えば飴に添加して、べたつきにくくしたり、
薬を包む糖衣に使用したりと、その効果は幅広い。
作成したゼリー表面に、2〜3%水溶液を薄くスプレー
または刷毛塗りすることで、提供までの揮発と酸化を物理的に抑制する。
水分の蒸散と共に、1分ほどで皮膜が形成されるはずで、2%程度の濃度であれば、
口に入れた瞬間に溶けるため、食感への影響はゼロだろうと踏んでいる。
一点だけ注意があって、プルラン水溶液はpH3以下で粘度が低下する。
野生柚子果汁を加えている今回の設計では、表面のpHが低い可能性があるため、
コーティングは提供直前に行い、長時間放置しないことが条件となりそうだ。
となると、、、
うーん、添付の意味はないかも知れない。
➅ 野生柚子の果汁と果皮
柚子は栽培物ではなく野生種を使う予定だ。
私が狩猟している山に、野生種があり、ものすごく沢山の実がなっている。
この野生種、変態的に酸っぱくて、おそらく酸味が栽培物の1.5倍以上と強いため、
果汁添加は細かく調整する。
なかなかの暴れん坊な柚子であるが、香りがめちゃくちゃ良い。
よってこの変態柚子は、果汁と果皮の両方を使う。
果皮は包丁で削り、刻み、山葵と同じく60℃以下で加える。
リモネンなどの香気成分は熱に弱い。果皮のひとつまみが、
仕上げの見た目と香りを同時に決める。
そして、酸味には山葵の辛味を引き締める効果がある。
柚子の持つ酸味が、アリルイソチオシアネートの加水分解を遅らせる
pH管理の役割も担っている。つまり柚子は、風味のためだけでなく、
山葵の辛味持続性を高める設計上の要素にもなるはずだ。
設計の終わりに
このゼリー、ひとまずは脳内試作段階。
トレハロースの量、柚子の酸味、生わさびとチューブのバランス。
実際の試食を重ねながら、川村の感覚で最終決定する。
料理の設計とは、素材の特性を読み、機能を割り当て、
全体の構成として成立させることではないだろうか。
わさびを単なる薬味として扱うのではなく、
出汁・甘み・酸味・凝固・保護という五つの層を積み重ねた
一品として再設計する。これが今の私に出来る、最良のアプローチ。
世界のバイヤーが、和牛を口にする瞬間に、このゼリーが静かに添えられている。
その一口の中に、日本の出汁文化、山葵の科学、柚子の季節感が凝縮されていれば、
目が合ってしまった私の責任は、果たされる事となるはずである。
川村将紀
日本唯一の小売店に在籍する、牛部分肉製造ミートマイスター
