今回は、前回からの続き、山葵ゼリーの話から。
前夜祭のステーキ食べ比べ企画で、私が今年新たに加えた薬味がある。
昨年度は、調味する塩に一工夫して、出汁の要素と、海外の方が好む
柑橘の味を加え、【旨出汁柚子塩】を使用した。因みに、この塩は
知り合いの出汁屋さんに製造をお願いして、今では製品化しているそうだ。(笑)
さて、わさびぜりーを作るに至った経緯については、ブログ記事を参照に。
わさびゼリーを仕立てテーブルに並べると、何人かのバイヤーが首を傾けた。
着想のきっかけは、ブログ記事を参照にして頂きたいが、作ってみて
このゼリーの良さが解ってきた。
ゼリー化させることにより形状が安定する。崩れない。
肉の上に乗せても、焼き色を損なわない。
好みの分量をすくい、肉を頬張ると山葵の辛味と柚子の
香り、そして出汁の風味が広がる。和牛に対しては味を
引き締め、交雑牛は旨味を増強する。
これは良いレシピが出来た。
そう考えていたのだが、口に入れた瞬間、想定以上のことが起きた。
ゼリーが溶けだし、様々な風味が出てくるタイミングと、和牛の脂が
口の中で広がるタイミングが、ほぼ重なった。甘みと辛みが同時に
鼻腔を抜けていく。脂のまろやかさを、わさびの揮発性がすっと
引き取っていく感覚。
脂との上手いハーモニーが起きた。
料理において、こういう「偶然の精度」が生まれる瞬間があるのだ。
設計していたわけではないのに、結果として正解に辿り着いてしまうような瞬間。
長くこの仕事をしていても、その瞬間だけは毎回少し驚く。
いい仕事が出来た。そう確信した。
一方、バイヤーたちの反応は、正直だった。
「これは何か」と複数の人が聞いてきた。アジア、ヨーロッパ圏といった、
わさびそのものを知っている人でも、この形は初めてだったようだ。
私は答えるとき、なるべくシンプルに言うようにしている。
「日本の伝統的な薬味を、今回の食べ比べ企画の為に
和牛やF1のために少しだけ変えたものです」と。
余計な説明はいらない。食べれば、わかる。それで十分だと思っている。
会場を包む歓声
前夜祭は滞りなく進行し、出し物の時間が迫って来ていた。
私は厨房に戻り、山葵ゼリーへの手応えを胸にしまったすぐ後。
よさこい踊りだ。
会場のどこかで歓声が上がる。
「これはいよいよ、始まったな。」
そう思いながら、包丁を走らせる。
よさこい踊りが披露されている時間のはずだ。
ここで「はず」と書いたのは、私は一度も見ていないからだ。
私はそのとき、厨房の中にいた。
ちょうどマリカのカットショーが終わった後に発生した、神戸ビーフの
ウデ肉を処理していたり、食べ比べのステーキやしゃぶしゃぶの
後片付けをしていたので、ホテルの厨房を間借りしていたのだ。
ただ——はっきりと聞こえてきた。
分厚い厨房の壁越しに、歓声が届いてきた。
拍手ではなく、歓声だ。音楽の輪郭と、人の声の熱量が、
空気を伝って厨房の中まで流れ込んでくる。包丁を動かしながら、
なんとなく体が止まった。
これだけの声が上がっているということは、相当のことが起きているのだろう。
そう思った。
後から聞いた話では、よさこいチーム【八琴栾(はちきんらん)】【姫龍(きりゅう)】
さん達が演目の途中で会場スタッフに目を向けたそうだ。
そして衣装として指定されていた、ドジャースブルーのパーカーを着ているスタッフを
壇上に呼び込んで、一緒に踊ったのだという。
このイベントでは、神戸大学大学院の学生たちが、会場スタッフとして運営を支えていた。
彼らは優秀で、勤勉で、世界各国のバイヤーを相手に、しっかりとステーキやシャブシャブ
を届けてくれていた。——そういう学生たちが、あの夜、突然舞台の上に引き上げられた
そうだ。その場面を想像すると、少し笑える。
慣れない踊りを、慣れない舞台で、世界中から来たバイヤーたちの前で、
やる羽目になった学生たちは、戸惑っただろうか。それとも存外、楽しんだだろうか。
おそらく両方だったと私は思っている。
そしてその「両方」がにじみ出た瞬間こそが、会場の熱を一段階上げたのではないか。
よさこいは、高知発祥の踊りだそう。激しく、艶やかで、見る人を巻き込む力がある。
(らしい(;’∀’))
さらにそこへ、素人が引き込まれる即興性が加わった。台本のない瞬間が、
(私はそう思っているが、服の色を指定しているあたり、台本があったかもしれない。
因みに、私へ支給されていたパーカーの色は灰色だったので、踊れる人ではない(笑))
人を一番動かすことがある。世界各地から来たバイヤーたちにとって、
これは和牛の味と同等に、「日本」を体感する体験になったのではないか。
食だけが文化ではない。音楽も、踊りも、その場の空気も、その国の何かを伝えるはずだ。
私は見ていないので、これはあくまで憶測だ。しかし聞こえてきた熱量だけは、
本物だった。厨房の中に居た私でさえ、その熱を感じ取ったのだから。
カットショー
カットショーについては、少し説明が必要かもしれない。
マリカという、着物姿でのライブ精肉解体ショーを得意とするブッチャー
が居る。黒地に朱色の着物に、まるで日本刀のような美しい包丁。
本人の美しさも際立ち、ひときわ注目を引く。
英語が堪能な彼女は、会場内のバイヤーたちに語りかけながら、
その出で立ちで大きな刃を手に取り、肉を手際よく解体していく——

この視覚的なインパクトは、言葉で説明するより映像を見た方が早いが、
とにかく「絵になる」という表現がこれほど適切な場面も珍しい。
前夜祭という場においてカットショーが持つ意味は、演出以上のものだと私は考えている。
バイヤーたちは翌日、カタログの数字と格付けを見ながら入札する。
しかしその前夜に「塊肉が、肉になる瞬間」を目の当たりにすることで、
数字の向こう側にある実体を感覚的に理解するのではないだろうか。
部位がどこからどう取れるのか。
カットショーは、その「翻訳」を視覚で行う装置の様に私は感じている。
要は、現場感覚、リアル、だ。
マリカ自身の紹介も、また機会を設けて行いたい。
面白い女で、キュートでチャーミングなのだ。
さて、マリカのカットショーが終わった後、ウデ肉が厨房に届けらた。
私の出番は、この辺りが本番。
カットショーの余韻がまだ会場に漂っている間に、
厨房ではすでに次の工程が動いている。
舞台裏というのは、いつもそういうものだ。
歓声が届いてきたのは、そのさなかだった。
包丁を持ちながら、私はなんとなく笑った。
見られなかったことへの悔しさは、不思議と無く、
開場が盛り上がっている事が、素直に嬉しかったのだ。
そして、このジャパニーズ和牛ワールドオークションをディレクション
している会社は、映像チームも優秀で、後ほど見れる、という
安心感もあるし、その歓声が届いてきたということは、
会場全体が確かに盛り上がっていたという、何よりの証左だ。
そう思えて、嬉しい笑いがつい込み上げてきた。
ゼリーを仕込み、会場入りしてから出汁を取る。
ステーキを焼き、自分が厨房で仕事をしている間に、
同じ建物の中で、それだけの熱量が生まれていたという、揺るぎない事実。
職人は裏方らしく、それはそれで、私には最高の夜だった。
翌日のオークションのことは、また別の機会に書く。

